南都七大寺

奈良の都が栄えた頃の南都六宗の中心寺院。法隆寺の代わりに唐招提寺を入れることもある

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南都七大寺の寺院・神社

東大寺
東大寺
東大寺
奈良県奈良市雑司町406-1 GoogleMaps
興福寺
興福寺
興福寺
奈良県奈良市登大路町48 GoogleMaps
元興寺
元興寺
元興寺
奈良県奈良市中院町11 GoogleMaps
大安寺
大安寺
大安寺
奈良県奈良市大安寺2-18-1 GoogleMaps
西大寺
西大寺
西大寺
奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5 GoogleMaps
薬師寺
薬師寺
薬師寺
奈良県奈良市西ノ京町457 GoogleMaps
法隆寺
法隆寺
法隆寺
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 GoogleMaps
唐招提寺
唐招提寺
唐招提寺
奈良県奈良市五条町13-46 GoogleMaps

奈良県の他の七福神巡り

南都七大寺のブログ

南都七大寺
奈良市や斑鳩地方にある朝廷の保護を受けた七つのお寺です。法隆寺は斑鳩地方にあるため、代わりに唐招提寺を入れる場合もあります。特に専用のご朱印張がある訳ではありませんが、古都奈良を代表する七つの..
2017-065南都 大安寺②≪奈良県奈良市≫
戌054 2017年11月03日(祝金)時々 『2017年秋奈良大和路紀行』 初日 南都七大寺 癌封じ祈祷 大安寺を参拝 御朱印四種を拝受しました 【南都 大安寺】 前回の参拝blogです 境内を案内します 拝受した御朱印です
奈良・大安寺 笹酒まつりに行って来ました~
いる。 大安寺 聖徳太子が平群に建てた熊凝精舎がその草創といわれています。飛鳥の藤原京で百済大寺、大官大寺となり奈良時代に現在の地に移り大安寺となりました。 南都七大寺のひとつに数えられ、左京六条四坊から七条四坊
奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝 ─ あべのハルカス美術館 平成
タクヤNote。今回は大阪・あべのハルカス美術館でこの夏開催中の『奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝』を紹介します。 西大寺というのは平城宮址の西に伽藍を構える、南都七大寺に数えられる大寺院。南都七大寺を掘り下げて取
「南都七大寺巡り」その5:東大寺大仏殿を一回り
(南都七大寺巡り その4から続く) 奈良で一番有名な寺院といえば、おそらく東大寺。 奈良で一番有名な仏像といえば、おそらく東大寺の大仏様。 そんな大仏様の鎮座している大仏殿に、他にも仏様の像が収められていると
遣唐使の帰路、最澄は対馬経由で長門に帰国
出いたしました。そして、最澄は入唐留学で研鑽を積んできた天台宗の布教に天皇の助力を願い出ました。桓武天皇は、最澄が持ち帰った天台関係の経典や注釈書を天下に広めるために、南都七大寺に書写を命じました。さらに、大安寺の勤操など
心洗 八十八面観音巡り ~西大寺・大安寺
大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山の寺院。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが
第69回さっぽろ雪まつり
ラ・スタンの高台に13世紀に建てられた「ストックホルム大聖堂」。 8丁目 雪のHTB広場 【大雪像】 奈良・薬師寺 大講堂 相宗の大本山であり、南都七大寺の一つに数えられる「薬師寺」にあり、「講堂」
癌封じ&ご朱印etc
良い天気の一日でした。 昨日から連れ合いと長女と一緒に奈良方面に「癌封じ」の祈願とご朱印をいただきにお寺巡りをしてきました。 「癌封じ」は、昨年も同じ時期にお世話に南都七大寺のひとつ「大安寺」。 昨年のご祈祷時は、Ig
菩薩めぐりの旅~~!!②
あえず次のお寺へ~~~ お次は これまた きぃちゃん大正解の 元興寺~~!! 蘇我馬子開基の飛鳥寺が前身で平城京遷都に伴って推古天皇・聖徳太子建立の寺院です。 南都七大寺の一つです。 こちらでも ご朱印いた
聖徳太子霊跡を訪れる
)が官寺となり、その後に移転や改称を繰り返したとされる。平城京に移って大安寺を称したときの伽藍は東大寺、興福寺と並んで壮大であり、東西に2基の七重塔が立ち(七重塔を持つ南都七大寺は他には東大寺のみ)、「南大寺」の別名があっ
札幌雪まつり2018
・スタンの高台に13世紀に建てられた「ストックホルム大聖堂」 Webより 8丁目『奈良・薬師寺 大講堂』 「奈良・薬師寺 大講堂」は、法相宗の大本山であり、南都七大寺の一つに数えられる「薬師寺」にあり、「講堂」
西大寺展へ行って来たよの巻~(あべのハルカス美術館)
です。 「西大寺」は大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の一つに数えられる大寺院あったそうです。
聖徳太子 第22番 額安寺(かくあんじ)
〉(額田部臣おみ)が記される。 天平19年(747年)の『大安寺伽藍縁起並流記資財帳』(だいあんじがらんえんぎならびにるきしざいちょう、国立歴史民俗博物館蔵)によれば、南都七大寺の1つである大安寺の前身は、聖徳太子が額田部
薬師寺(奈良)
し単品で売っていたら買わないシンプルなものです。 薬師寺は天武天皇により発願、持統天皇によって本尊開眼、文武天皇の御代に 堂宇が完成、平城遷都に伴い現在地に移された南都七大寺の1つです。 歴史の割に建物が新しいのは、度
奈良の旅
五劫」です。剃髪する間もなく長い修行を積んだ結果の髪型のようです。冷えたお堂で対面していると、穏やかな気分になりました。 今月は特別開帳の「大涅槃図」があるそうです。 南都七大寺のひとつ「大安寺」 がん封じの御利益があり、
『龍宮城4連発復活作戦』(その12)-尾道の薬師如来
★─☆。o゜。★─☆。o゜。★─☆。o゜。★─☆。o゜。★─☆。o゜。★─☆。o゜。 そして、さすがは、奈良・・・ なかなかいわく付きの伝承も ~ 奈良市にある南都七大寺の1つに数えられる寺院。 創建年 : 推古天
奈良 元興寺
南都七大寺とは、奈良時代に平城京及びその周辺に存在し朝廷の保護を受けた七つの寺の事を言い ます。東大寺、興福寺もそうですね。 今回は、"ぼさつ巡り"として、聖徳太子の御朱印を頂きに、南都七大寺のひとつ元興寺(
フィッシュアイ(魚眼)レンズを試してみました
えない日ではありましたが、フィッシュアイ・レンズという新しいおもちゃを得た感じで、思いっきり楽しんで東大寺の境内を回らせていただきました。 2009年から撮り溜めていた南都七大寺の年中行事の記録が、おととしにネタ切れになっ
興福寺東金堂(こうふくじとうこんどう)
平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。 興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とそ

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